カーシーその2「ヴィンディヤ山と聖仙アガスティヤへの女神の祝福」

「カーシー・カンダ」はカーシーへ行く(実際に行く場合も、心で行く場合も)前に知っておく必要があると言われます。「カンダ」は「章」や「巻」の意味で、「カーシー・カンダ」は「カーシーの章」という意味です。プラーナ文献の一つ『スカンダ・プラーナ』の中に「カーシー・カンダ」が収録されています。

ヴィンディヤ山の隆起

「カーシーの章」は、ヴィンディヤ山という偉大な山の物語から始まります。

ある日、ヴィンディヤ山の心に嫉妬が入り込みます。それは世界の中心に位置し、もっとも高いとされるメール山への嫉妬でした。「ありとあらゆる意味で、自分がメール山に劣るということはない。むしろ自分の方が優れている。太陽とその他の惑星は、今後は自分を中心に回るべきだ」とヴィンディヤ山は考え、自分の高さを増していきました。

ヴィンディヤ山は実在する山脈であり、ヴィンディヤ山脈がインドを南北に分けています。ヴィンディヤ山脈から北が北インドであり、南が南インドです。

ヴィンディヤ山は高くなり、太陽の道を塞ぎました。そのため東と北の方角に太陽が留まり、激しい太陽の熱がその地域の人々を苦しめました。一方で西と南の方角の地域では、夜が続きました。太陽が昇ってから始められるヤジュナの儀式が完全に停止したため、人間だけではなく、神界、祖霊界、精霊界、梵天界、蛇の世界、阿修羅界のすべての存在が混沌に陥りました。

神話は象徴に覆われた隠された意味を持っています。
太陽の光は全ての生命の根源ですが、太陽の運行は時間の根源でもあります。太陽暦や太陰暦、一週間、一日というすべての時間の周期は、太陽と月の運行に基づいて割り出されます。つまり太陽は繁栄と秩序の根源となっています。ヤジュナの儀式は、人間の適切な行為が、人間だけではなくありとあらゆる存在の繁栄と関わっていることを表します。そびえたつヴィンディヤ山は「嫉妬(Mātsarya)」「高慢(Mada)」など、人間の内なる敵を表します。人間は内なる敵である利己性によって、理性と知性の光を適切に扱うことができなくなり、破壊的な影響を周囲に生むことを表しています。

神々はこの突然の全世界に及ぶ混沌を恐れ、創造神であるブラフマー神のもとに集まりました。ブラフマー神の示唆によって、神々はこの問題を解決することができる聖仙アガスティヤが住むカーシーへと向かいました。カーシーに着くと、すぐにマニカルニカ・ガートで沐浴し、カーシーの主神であるヴィシュヴェーシュワラ神を礼拝しました。そして聖仙アガスティヤとその妻のローパームドラーのアシュラム(庵)へと進んでいきました。神々は聖仙アガスティヤとローパームドラーの修行の偉大さを見て高揚しました。

聖仙アガスティヤの出立

聖仙アガスティヤ

神々は聖仙アガスティヤに住居を北のカーシーから南へと移し、それによってヴィンディヤ山を鎮めてほしいと懇願しました。すべての生類の福利を願う聖仙アガスティヤはこれを引き受けましたが、カーシーを離れることは気絶する程に心苦しいことでした。それでも聖仙アガスティヤはヴィシュヴェーシュワラ神を礼拝し、カーシーの守護神であるカーラ・バイラヴァ神の許可を得て、妻と共にヴィンディヤ山へと向かいました。

シヴァ神の名を詠唱していると、聖仙アガスティヤはあっという間に天空の道を塞いでそびえたつヴィンディヤ山の所にやってきました。ヴィンディヤ山も聖仙アガスティヤの威光については知っていました。そのためヴィンディヤ山は聖仙アガスティヤを恐れ平伏しました。そして「偉大なる聖者よ、どのようにあなたにお仕えすれば良いですか?」と言いました。心の中では、どのようにすれば聖仙アガスティヤの呪いを逃れられるかと考えていました。

聖仙アガスティヤは、ヴィンディヤ山の心の内を察しつつも、ヴィンディヤ山がこのような間違いを二度と起こさないようにすればどうすれば良いか思案しました。それは恒久的な解決策である必要がありました。そう考えながら、聖仙アガスティヤは言いました。

「ヴィンディヤ山よ、あなたは背丈が非常に高く、私は低い。そのためあなたが平伏した状態でなければ、あなたを通ることができない。私が南へ行き北に戻って来るまで、そのように平伏したままでいてくれないだろうか」

聖仙アガスティヤの呪いを恐れたヴィンディヤ山はそれを聞き入れました。そして聖仙アガスティヤはそのまま北に戻ってくることはありませんでした。以来、ヴィンディヤ山は平伏した姿勢を保ち続け、このようにして聖仙アガスティヤは世界の問題を見事に解決したのでした。

放棄のヨーガと女神の祝福

聖仙アガスティヤはカーシーを離れる際に「神に与えられた仕事が完結した後は、すべてを放棄する覚悟がなければならない」と考えました。聖仙アガスティヤのカーシーでの仕事は終わっていました。そのため、どれだけカーシーを愛していたとしても、次の仕事のために最高の住居とされるカーシーをも放棄しました。

またヴィンディヤ山も、聖仙アガスティヤへの恐れがきっかけでしたが、身を屈め自分のプライドを放棄しました。『デーヴィー・バーガヴァタム』では、女神が謙虚になったヴィンディヤ山を見てそこに住むことを決めたと述べられています。そのため女神は「ヴィンディヤヴァーシニー(ヴィンディヤに住まう者)」という名でも知られています。

ヨーガ哲学においては「何を得るかより、何を失うかのほうが重要である」と言われます。
「プラパッティ・ヨーガ(放棄・全託のヨーガ)」と呼ばれ、それはあらゆるヨーガの道における真髄を含んでいます。

その後、聖仙アガスティヤはコルハプールへ行き、そこで女神ラクシュミーを『ラクシュミー・ストートラ』によって礼賛しました。礼賛に喜んだ女神ラクシュミーは次にように言って聖仙アガスティヤを慰めました。

「息子よ、嘆くことはありません。29回目のドヴァーパラ・ユガ(時代)において、あなたはヴィヤーサとして生まれ、カーシーに住むでしょう。またこの巡礼の旅では、スッブラマニヤ神(スカンダ神)からヴァーラナーシー(カーシー)についての秘密を学ぶでしょう」

聖仙アガスティヤは女神の至高の信奉者の一人とされています。また、この「ドヴァーパラ・ユガ(時代)にヴィヤーサとして生まれる」にはさまざまな秘密が隠されています。これについては別の機会に触れたいと思います。

そして「スッブラマニヤ神(スカンダ神)からヴァーラナーシー(カーシー)についての秘密を学ぶでしょう」については、この後の「カーシーの章」で展開されていくことになります。



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